ニューヨークの歩行者は信号を守らない。
信号が赤(正確にはオレンジの”手”だが)であっても、車が来ていなければ普通に渡る。
私も、ベビーカーや子供連れでないときは、周りを見渡した後、車が来ていなければ渡ることが多い。
この行為は、街行くニューヨーカーにとっては当たり前であり、もはやNY州では合法である。
よく”ニューヨーカーは忙しいから”と耳にするが、私は忙しくなくても渡ってしまう。
なぜ、早く渡りたくなってしまうのだろうか?
街を歩きながら考えてみた。
一刻も早く去りたい
歩いていて感じたのは、「早くこの場を立ち去りたいな」という感情だった。
なぜなら、歩いていて快適な街ではないからだ。
ニューヨークは、ゆっくり楽しみながら歩くのには不向きな街だと私は思う。
高いビルが多く、騒音はうるさい。
上からはエアコンなどの水が降ってくることがあるし、下には食べ物のごみやハトや犬の糞が落ちていることも多い。
セントラルパーク内ですら、考え事をして歩いていたら、足元の不運を越し損ねてしまったことがある。
さらに、ホームレスや不審者も多い。
先日も、ホームレスが通行の女性の首をガラス瓶で刺す、という事件があったらしい。
人気の観光エリアでも、高級住宅街でも、そういう類の事件は起こる。
身を守るためには、危険そうな人物が視界に入ったら、できるだけ距離を取って足早に去るのが得策だ。
・・・たとえ信号を無視することになっても。
自分の身は自分で
このような街では、できるだけ早く家や目的地に着きたいと思う。
家は絶対安心だし、入場料が必要な場所はきれいで治安が良いことが多い。
つまり、信号を守らない私の心理は、「信号を無視してでも一刻も早くたどり着いて安心したい」なのである。
一方で、信号無視には危険な側面もある。
車の右折の勢いは強めだし、歩行者を無視して曲がってくることも多い。
渋滞のせいで変な位置で止まってしまった車が、急に動き出す場合もある。
車だけでなく、電動キックボードやスマホを見ながら走っている配達の自転車にも注意が必要だ。
実際に知人は、高速の電動キックボードに巻き込まれて大けがをしてしまった。
結局は、信号が青であったとしても、自分でしっかり周りを見て、安全を確認することが必要だ。
異国では、今までの常識が通用しないことが多い。
私がこれまで培ったモラルや正義は、全て嘘だったのかと思うほどのときもある。
そのような社会では、周囲への期待や過信は禁物だ。
たとえ、信号という”守ることが常識”のはずのシステムでさえ確実性はなく、常に自分で周囲の状況を判断しなければならない。(”常識”や”はず”という言葉選び自体がそもそも間違っているのかもしれない。)
自分の身は、自分しか守れない。
自分の判断や直感によって色が変わる、自分自身の”信号”を持つことが、ニューヨークで生きるために必須だと私は思う。
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