春に感じる別れの哀愁。ニューヨークの夏は?

異文化思考
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桜の開花や暖かい空気で感じる春の訪れ。

ようやく冬が終わるという嬉しさの中に、“別れ”という少し切ない思い出が蘇るのは私だけだろうか?

私にとって春には、卒業や異動という、少し寂しい思い出がある。

春の空気は、若かりし頃に刻み込まれたこの感情を、鮮明に呼び起こす。

ニューヨークの学校は、9月に始まり6月末に終わるのだが、夏の訪れが別れの切なさを呼び起こすのだろうか?

気になったので聞いてみた。・・・ChatGPTにだが。

すると、文化の違いにより、別れへの価値観が異なるという、面白い発見があった。

別れを悲しまない?

日本で、引越しなどの別れの際にかける言葉は、「今までありがとう」「元気でね」「またどこかで会えたらいいね」などが一般的だ。

これらの表現には、「(会いたいとは思っていても)もう会えないだろう」「これで最後かもしれない」のような、別れに対する悲観的な気持ちが含まれているように思う。

それに対して、アメリカでは「今度会うときは〇〇しようね!」など、未来への希望が込められた言葉で別れることが多いようだ。

もちろん、別れを寂しいと感じたり、卒業スピーチなどで涙を流したりすることもあるが、悲しみ以上に、「新しい世界へ羽ばたく喜び」や「これからの未来への期待」という前向きな気持ちが大きいらしい。

つまり、アメリカではそもそも別れに対して悲観的でなく、”別れ=切ない”という感情にならないようだ。

この”別れに対する価値観の差”は、なぜ発生するのだろうか?

国の歴史の違い

現在のアメリカは、新しい環境や成功を求めた移民によって築かれた国だ。

対して日本は、共同体のつながりを重要視し自国内部を発展させてきた国と言えるだろう。

私は、このような国の成り立ちが、”別れに対する価値観の差”を生む要因の一つだと感じる。

個人の成功を追うアメリカ

アメリカは、宗教の自由や経済的な成功、新天地での機会を求めて開拓された土地だ。

ヨーロッパからの移民が知らない土地で、政治や身分などの後ろ盾なく未開の地を切り拓く時、頼れるのは自分や家族だけだっただろう。

独立宣言では、「全ての人間が自由と幸福を追求する権利を持つ」とも明記されている。

これは現在の社会構造にも影響しており、努力により成功した人は豊かな暮らしを手に入れることができる。

このようにアメリカは、国の成立時から”個人主義”である。

この社会では、常に自分でチャレンジし、努力することが求められる。

別れは、元々いた場所から離れるときに訪れる。

言い換えると、自らが一歩を踏み出す時に発生する人間関係の変化であり、このような国においては、「より良い未来」を目指しているからこそ起こる出来事なのだ。

つまり、”別れ=次のチャンスの始まり”なのである。

アメリカで別れが前向きに捉えられる理由は、別れは成功するための自らの進路選択に伴うもので、その先にお互いに明るい未来がある、というポジティブな感情があるからなのではないかと感じた。

つながりが重要な日本

一方で日本は、稲作が始まった弥生時代から定住型の社会だ。

血縁や地縁を基盤とした共同体(ムラ社会)が中心で、協力して作物を生産することで豊かな生活を送ってきた。

村社会は江戸時代にも続き、集団内での助け合いが基本の村社会では、周囲との関係が悪くなると「村八分」にされ生きていけない。

また、身分制度や職業の世襲制から代々同じ場所で親から職業を引き継ぐことが当たり前であり、努力や才能による個人の成功よりも、地域の人と協力した共同体の繁栄が重要視された。

昭和の終身雇用制度では従業員を家族のように扱い、飲み会などで結束を強め、貢献し続けることで地位、給与、安定を得ることができた。

現代でも、引っ越し先でご近所に挨拶に行って手土産を配り、周囲との関係が良好になるように気を遣う人もいるだろう。

転職は若い世代では増えてきているものの、ここまでの関係を断つのもなあと重い腰が上がらない人や、年功序列の会社も多いはずだ。

このように日本では、ある場所でのつながりの強さが豊かな生活をもたらしていたと考えられる。

逆に考えれば、その結びつきを手放すことは不安を伴うものであるに違いない。

日本において別れに悲観的な理由は、”別れ=つながりが切れる不安”というネガティブな感情を、潜在的に認識してしまっているからではないだろうか?

死後の世界観の違い

加えて、宗教の違いも”別れに対する価値観の差”を生む要因の一つと私は考える。

アメリカにはキリスト教を信仰する人も多いが、キリスト教には、死後に復活し、神により最後の審判が下され永遠の命を得るという教えがある。

それまでの行いや信仰によって天国に行け、愛する人にはそこで再会することができる。

要するに、引越しなどで一時的に別れたとしても、「天国でまた会える」という思想が根底にあるのではないかと思う。(宗派によっても異なる)

一方で、日本で馴染みのある仏教や神道では、死後に再会できるという考え方はあまりしない。

仏教の中でも浄土宗(念仏を唱えれば極楽浄土に行ける)では、極楽浄土で愛する人と再会できるとされているが、基本的には輪廻転生で、六道(天、人、修羅、畜生、餓鬼、地獄)の中の何に生まれ変わるかはわからず、再会できる保証はない。

神道では、死者の魂は子孫を見守る存在であり、また会えるという存在ではない。

つまり、日本においては”死=永遠の別れ”であり、それゆえに”一期一会”や”今のこの出会いを大事にしよう”という考え方が一般的なのだろう。

このような死後の世界観の差も、喪失感の強さを分けているように思う。

※宗教については勉強中のため、理解が不十分な点があるのはご容赦いただきたい。

まとめ:夏に哀愁はない

今日は、ニューヨークの人は夏に別れの切なさを感じるのか?という点について調べた。

結論、歴史的な社会構造や宗教的な価値観から、そもそも別れに対してアメリカではそれほど悲観的にならないことが分かった。

それゆえに、夏の匂いに”別れ=寂しい”は思い起こされず、むしろ夏の解放感や夏休みへのワクワク感を感じることが多いみたいだ。

”別れ”の季節である春と夏、日本では涙が溢れるが、ニューヨークではヨダレが溢れるようだ。

私は6月に本帰国なので、ニューヨークの土地との別れを経験する。

来年、夏の匂いでどんな感情が呼び起こされるかが楽しみだ。

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