友達が欲しいと願っていました。
でも、なぜ友達が必要なんだろう?
孤独を選んでみると、
自分とじっくり向き合うことができました。
友達作りに悩んだ一駐妻のエピソードです。
友達も作れない自分
こんにちは。
ニューヨーク駐妻3年目のさしみです。
みなさん、駐在を始めてから新しくできた友達はいますか?
私にはほとんどいませんでした。
夫の会社の同僚の奥さんで、娘より1歳下の男の子がいる人が一人と、その人の友達で、たまたま私と同じマンションに住んでいた人一人の、合計二人と連絡先を交換させてもらいました。
しかし、どちらも、自分の力で作った友達ではなく、2年ほど先輩だったこともあり、新参者の自分から積極的に声をかけることを躊躇ってしまい、ほとんど連絡を取ることはありませんでした。
うらやましさはありました。
日本人同士で公園やイベントに来ていたり、インスタのコメントで「また連絡するね!」とタメ語で話している様子を見たりすると、私にもそうやって、気軽に連絡したりお出かけしたりできる友達が欲しいなと思っていました。
でも、なかなかうまくいきませんでした。
公園で、日本人親子を見かけても、その人の年齢、性格、在住歴や駐在か永住かどうかなど何もわからない状態で話しかけるのは難しく、その上、渡米したてで身の回りのこと全てに自信がなかった私は、「相手は私なんかを求めていないだろう」とも感じてしまい、友達作りは叶いませんでした。
SNSを見て、似たような境遇の人はいないか、友達になれそうな人はいないかを探したこともありました。上のお二人同士も、SNSを通じて知り合ったそうで、そういう出会い方もできるのか、と思ったからです。でも、元々社交的ではない私には、見ず知らずの他人に急にメッセージを送ることはできませんでした。
友達も作れない自分に劣等感を感じました。
孤独という言葉が、脳を埋め尽くしました。
友達ってなんだっけ?
そんなある日、日本の友達グループから連絡が来ました。
それぞれ家庭があったり、仕事をしたり、ばらばらな生活をしていてなかなか会えないのでオンラインで話そうということになったのです。
久しぶりに旧友と話すと、心がほぐれていくのを感じました。
ニューヨーク生活の辛さや大変さはわかってもらえないものの、昔から気が合ってずっとつるんでいる友達と他愛ない話をしている時間(聞く、相槌を打つだけの時間も多かったですが)は、思った以上に楽しく、安らぐ時間でした。
そんなことが何度か続いて、思いました。
私は、なぜ新しい友達が欲しかったのか。
考えてみると、私が友達を欲していた理由は4つでした。
1つ目は、「情報をもらいたい」。ニューヨークで子供と何をして遊べばいいかとか、何を食べているかとか、病院はどうしているかとか。
2つ目は、「分かち合いたい」。ニューヨークで暮らし始めて感じたことが、自分だけなのか、みんなもそう思っているのか。自分だけじゃなくて、みんなと同じであると知って、安心したい。自分の話に共感してほしい。
3つ目は、「子供の遊び友達になってほしい」。四六時中、娘と二人で過ごすのは根気がいるし、子供にとっても、ずっと母と遊び続けるより、社会性を養うためにも新しいお友達ができた方がいいのではないか。
4つ目は、「友達がいるという事実を誇示したい」。自分がうらやましさを感じていた、日本人同士のお出かけ、みたいなものを私もしたい。私にも友達がいて、充実した生活をしていることを外にアピールしたい。(当時は、この4つ目の感情には気づけなかったけれど、今考えてみればそうだったに違いないと思います。)
どれも、自己中心的な理由ばかりでした。
自分の穴を埋めることを、他人に求めていたのです。
これって「友達」なのでしょうか?
気の置ける友達は、学生時代の友人で、クラスや部活で関わる中で自然と気が合うことがわかり、仲良くなっていった人たちで、そこに打算的なものはありませんでした。
たぶん「友達」とは、そういうものなんだと気づきました。
私が欲していたのは、友達ではないのかも?
今求めている友達は、本当に必要なのか?
いろいろ悩んだ結果、私は、無理に友達を作ることをやめました。
孤独は、自分とゆっくり向き合える時間
もちろん、一人で辛いこともありました。
でも、意外といいこともありました。
まず一つに、ゆとりがあったこと。
人と会うとなると、服装、化粧、予定、時間、経路、子供の体調や生活スケジュール、お土産の有無、など気にすることがたくさん出てきます。ただでさえ慣れない海外生活なのに、そんな余裕はありませんでした。
好きな時に起きて、子供のペースに合わせて、気の赴くままに、出かけたり、家で過ごしたりする、そんなのんびりした毎日を送ることができました。こんなに予定がなかったの、自分が赤ちゃんの時以来なんじゃないかくらい。
娘と二人の毎日、予定がなさ過ぎて気が狂いそうになることもありましたが、今思えば、気遣いで疲労が溜まるよりは、憂慮なくゆったり過ごしている方が、私には向いていたような気がします。(これは人によると思います。)
子供の社交性を心配していましたが、3歳で幼稚園に入ってからは、お友達とも仲良くやっているみたいです。子供にとって新しい交流がたった1年ないことくらい、これからの長い人生を考えるとどうってことはないのかなとも思いました。
もう一つは、自分と家族に向き合えたこと。
特に、夫婦での話し合いは何度もしました。日本にいたときは、たとえ喧嘩をしても、友達に愚痴って発散すればいいや、と思っていて、本気で向き合っていなかったように思います。
愚痴を言って発散するには、似たような境遇と価値観で、でもお互いの生活には支障をきたさないと信頼できる人、それこそ「友達」が必要ですが、「ニューヨークに住んでいる日本人」という狭いコミュニティの中で、そんな人に出会うことの難しさも感じました(もちろん出会えれば最高)。
孤立無援になったことで、「どうしたら自分を含め家族全員が幸せになれるか」をより真剣に考えるようになりました。視野が狭いと思考が偏るので、動画を見たり、本を読んだりしながら、自分の要求を、相手の要求も理解して、折り合いをつけられるようになりました。
その中で、自分の性格や言動について考えたり、それに関わる勉強をしたり、自分の時間をゆっくり使って、自分について学び直すこともできました。
これまでの人生で、こんなにゆっくり、自分と向き合ったことはあっただろうか。
そう考えると、孤独も意外と悪くない、と考えられるようになりました。
孤独のおかげで、自分をじっくり見つめ直すことができました。
心が強くなれたような気がします。
まとめ:孤独に悩む駐妻へ
海外生活最初の孤独は、辛いですよね。
周りの人はみんな友達がいて楽しそうに見えて、自分はひとりでさみしい気がするの、よくわかります。
でも、最初は誰も、友達なんていません。
家族以外の誰かと来ている人は少ないのではないでしょうか?
努力して(努力と感じるかは人それぞれですが)新しい友達を見つけたり、(少数派かもしれませんが)私のように一人でいることに慣れたり、それぞれ自分の一番過ごしやすい方法を見つけて、生きています。
最初は寂しいと感じるかもしれませんが、何かの拍子に良い出会いがあるかもしれないし、なくても楽しめるかもしれません。
そもそも、友達がいるから楽しい、というのも一種の価値観で、異国で生活する中で、その価値観も変わるかもしれません。
一番言いたいのは、
「孤独=悪」ではないということです。
一人でいることを選んだ私のような人もいるという事実が、誰かの心の支えになればいいなと思い、私の考えを書きました。
ご覧いただきありがとうございました。
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